恋活戦記

独身アラサー女子の日々の戦いを記録。合理的に戦う方法と出会った男達を毒舌に紹介します。

10年前のあの日を振り返る❶ 〜プロローグ〜

先日の3月11日であの大地震の日から10年が経ったんだなぁと、TVでどのチャンネルをつけても3.11特集をやっていて、この1週間は嫌でも色々考えさせられた。

 

筆者は当時大学4年生で今と変わらず首都圏に居た。大きな揺れを体験したが、困った事は帰宅困難者になった事とその後の計画停電くらいで、家が無くなったり犠牲者が出たりなんて事は全くないエリアだった。

 

災害後の日本の自粛ムードは味わった事のないもので、楽しんではいけないという空気だった。

mixiアメブロの全盛期で多くの人が毎日日記を発信していた時代、この大きな出来事をスルーする訳にもいかず、たいして被災した訳でもないのに誰もが少し自分に酔いしれた悲しみに浸った文章を綴り、その後また日常の日記に戻っていった。

 

同じ自粛ムードでも全然違う10年前と今。

楽しむ事や喜ぶ事に罪悪感がありながらも強制的な禁止はされなかったあの頃。

ポジティブな気持ちを持つように促す風潮だけど強制力が強くて何もできない今。

 

当時もしばらく自粛していた記憶だった。

TVをつけると災害のニュースや特集ばかりで、CMはACばかりが繰り返し流れていた。

都会を覆っていた無駄な電飾やモニター、デジタルサイネージは全て電源が消されて街一体が国民の心を表しているかのように暗かった。

暗闇の中、部屋でじっと過ごした計画停電の日々は意外と長かった。

卒業式が自粛で無くなり、卒業した自覚を持てぬまま学生時代をフェードアウトした。

 

筆者のあの頃の印象はこんな感じ。

 

しかし、iPhoneデビューして丁度10年経つのだが、写真フォルダの1番上まで遡ると2011年の写真が残っていて、なんと、、

震災直後から割と遊びまくっているではないか/(^o^)\

サークルの追いコンにいちご狩りにカラオケに…

あぁ、今とは全く違ってこんな感じだったか…

と記憶が蘇ってきた。

 

常に申し訳ない気持ちを抱えながら、少し胸につかえるものを感じながらだったけど、それでも遊び盛りの年頃で毎日のように誰かと会う予定があった。

それが今のように中止になる事もなく、店も通常営業で、世の中は大きく変わったけれど自分の日常は変わらずにもいける選択肢があった。

現実から少し目を背けたい気持ちもあった。

 

完全孤独な今よりずっと気分転換できてたなぁと思う。

こんな筆者ですらハタチそこそこの頃は日々誰かと会う予定で埋まっていた訳だから、若い時ってそういうものなのだろう。そう思うと、今の若者は自粛頑張っているなぁと思う。

 

 

本題に入る。

「あの日何してた?」

「あの日どこに居た?」

なんて質問が3.11以降よく飛び交った。

今でもたまに話題になる。

その質問で「家に居た」という答え以外なら

「帰れた?」という流れになる。

あの日全ての交通機関が朝まで止まっていた。

 

朝までどこに居たか。

その質問に答えるには1時間は欲しい。

 

一言で答えるなら「元彼の家」となってしまう。

だが、そのワードの持つイメージとは全く違う状況だ。

バックグラウンドや過程を説明した上でないと

誤解を招く事になる。

その複雑な前提を話さずには答えられないので『あの日の質問』は苦手だ。

 

いつかここでも書こうと思いながら渋っていた10年前の話。

友達から「小説出せるよ」と言われてきた壮絶なその『前提』をついに綴ろうと思う。

 

→つづく

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