「出会いがない」は言い訳である。
といろんな恋愛アドバイザーが言う。
今の時代いくらでも出会いの場はある。
だから私は多様な出会いツールを利用してきた。
しかし私たちの言う「出会いがない」の「出会い」とは日常で自然に出会うことを指している。
通行人やら店員やらでいいなと思う人を見る事もあるけれど、やはりきっかけがないと声を掛けるのも厳しいものがある。
なるべくいろんな集まりに参加していろんな人と会うようにしているけれど、結果としてフリーの恋愛対象になる方に出会ってお近づきになれるチャンスがない場を出会いの場とは言えない。
出会いとは結果論なのだ…!!
そして自然な出会いの場で出会う人は年々フリーの確率が低くなる。アラサー以降はやはり、出会いを求めている人が集まる場に行く方が懸命のように思える。
上のブログは出会いがないと絶望している私のような人に向けて、「ない」ではなく「ある」と思えるように書いてくれている。引き寄せの法則的にも「ない」ではなく「ある」と感じる事によって出会いを引き寄せるのだろう。わかっている。しかしながらいつもと違う場所に行ってみても新しいコトを始めてみてもどうにもこうにも素敵な出会いは存在しない。「出会いがない」と弱音も吐きたくもなるのだ。
そんな私でも上の記事を読むと、まだまだ甘かったかなと思う。
本当に本気で出会いを求めれば確かに
出会いはいくらだって作れる。
「出会いがない」というのは他力本願からくる言葉だったのだと気付いた。
出会いの場に行くという一見自らの行動に思える事も、「良い人居てくれよ!!!」と願いながら用意された人達を吟味しに行く感じ。
どんな人達が待っているか解らない戦場に行って収穫がないと嘆くより、狙った獲物を打算的に出会いに導くというのもアリかもしれない。
まぁ、それができたら苦労しないのだけど(。-∀-。)
一瞬関わるくらいの出会いはそこら中に溢れている。
問題なのはそこから恋愛へ導く力と自分の魅力の無さ。
そこをどうにかしないと何百人、何千人と出会ったところでキリがない。
世界で一番人口率の高い東京でこんなに探しまくっていても納得する相手と出会えないとなると、もうどこに行ってもダメな気がする😂